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BACKNO.|過去の日記

昨年までの日記▶︎ 2024年

血を捧げた。あと就活も終わった。

2025-05-17 SAT.

はじめての献血。

 先日、初めての献血をしました。午前は某社の内定者説明会に行き、大学に戻ったら、大学内で献血をやっていました。そういえばやったことないな、でも少し勇気がいるよな、なんてことを考えながら、でも別に殺されるわけじゃないし、自分の血で誰かの命を繋げるのなら、それは素敵なことだなって思って、なんとなく献血会場に足を踏み入れました。
 初めての献血は、問診から始まります。簡単な個人情報を提供して、いくつかの質問に答えます。血液検査、血圧の測定などを測定して、問題ないと判断されると、ついに献血台に案内されます。採血とかって全くやったことない一方で、痛みに耐えるのはそれなりに自信があったので(過去注射で泣いた記憶がないくらいには)、なんとなくワクワクする気持ちがありました。
 末端冷え性の激痩せ方の私ですから、看護師さんからカイロを渡され、少しだけ血流が良くなってきたところで、ついに献血用の針が姿を現しました。献血用の針は、見た目が結構ゴツく、正直ビビりました。しかし、いざ針を刺されると、びっくりするほどあっけなく、そしてゆっくりと血を抜かれていきました。よく考えると、注射で痛いのは針を刺すときではなく、薬剤を注入されているときだなって思ったら、それも不思議ではなくなったのですが。あとで看護師さんが言っていたのですが、腕には痛点が散在しており、そこを針が刺してしまった時は結構痛いとのこと。痛点は見えないので、完全に運であるということ。これからも献血する機会はそれなりにあるのかもしれないなとは思うのですが、痛点をうまく逃れ続けることを祈るばかりです。

そして、就活の終了。

 さて、全く話は変わるのですが、昨日就活を終了しました。今週は最終面接が二つ、どうやら片方はご縁がなかったみたいなのですが、昨日受けた方の面接は即日内定をいただきました。我が指導教官の言葉を借りると、「選べる立場にあることは幸せである」とのこと。いざ選べる立場になると、それはそれは贅沢な立場になるわけでございます。そしてそれを「自分の意思で」選択することは不可能であること。ある人から言われました。「面接はかならず最後まで受け切りなさい、将来入った会社が合わなかったとき、あのとき蹴った会社がよかったという後悔の念を抱かないためにも」と。とはいえ、選べる立場にある今となっても、自信ある選択をすることはできないでしょう。これまでの選択もそうでした。やはり、先日も書いた通り、人生というのは、未来に広がる可能性を一つ一つ潰してゆく作業にすぎないのだと思います。でもそれを悲観するつもりはありません。いつかその道を振り返ったときに、歩いてきたなんらかの道が、ただそこにあるだけなのだと思います。なんかカッコつけてしまいましたが、どうせ選択期日は近いうちに来ますし、その時になればなんらかの選択をしていることなのでしょう。
 そして就活が終わった今、もう休んでいる暇はありません。まずは直近のコミティア、そして先に聳えるたかい高い修士論文に向かって……。

社会と私

2025-05-02 FRI.

就職活動を続けています。

 就職活動を続けています。3月から始めました。とっても遅いと思います。まわりの社会適合者たちは、みんな昨年からインターンシップに行き、説明会に行き、社会に出ている自分をイメージして……。一方私はどうでしょう。その時やりたいことをただやって、絵を描いて、漫画を描いて……。それがなにか私の未来に繋がりましたか?いいえ。別にやらなくても良いことに本気になって、でもそれらに本気になりきれずに、結局周回遅れでみんなと同じことをやっています。
 そんな私でも、なんとかひとつ、内定をいただくことができました。つい昨日のことです。就活をしているときは、まるで悲劇のヒロインのように、世界でいちばん自分が不幸であるかのように振る舞ってきました。実際そんなことないのに、いつも就職先がなくなることに怯え、微妙に満足に休まらない日々が続きといった感じです。理性でわかっていることが感情で整理がつかないこの感じから解放されただけでも、なんだか腑抜けたような顔をして昨日から過ごしています。第一志望はまだ残ってるのに。しっかりやろうか。

出鼻を挫かれた日。

 だいたいの一次面接がオンラインになったのは、とても良い時代になったのだと思います。落ちる可能性が結構高い面接に、毎回シワを伸ばしたスーツを着て、第一ボタンを留めて慣れないネクタイを締めていくのは結構気疲れします。そういえば、一次面接が対面の企業が一つだけありました。コンプライアンス上どことは書けないのですが、はるばる横浜まで出かけて行って、結構長い面接とちょっとした小論文を書きました。んで、落ちました。就活の序盤で落ちるのは結構心に来るものがあり、感情の整理がつくのにはしばらくの時間を要しました。
 そのとき、せっかく横浜に来たんだしと思い、横浜の散策をしました。埼玉県民にとって、横浜は非常に馴染みがない。その日は土曜日で、象の鼻パーク、赤レンガ倉庫といった著名な観光地は家族連れとカップルで溢れていました。なんだか場違いな気がしながら、自分だけリクルートスーツに身を包み、なんとなく買ったアイスコーヒーを片手にぶらぶらとしていました。
 我が都立大の小泉教授が手がけた象の鼻パークを見て、5年ぶりの伏線回収。赤レンガ倉庫の混雑に辟易し、脇目にかすめながら海保の工作船資料館へ。いかにもインターネットの住民といったチョイスですが、やはり本物を見ておきたくて、それはそれは実感のある展示でした。さいごにまた象の鼻パークへもどり、遊歩道として整備された山下臨港線を見ながら、なんとなく物思いに耽っていました。本来の使命を終えた構造物が、ほとんどだれもその出自を知らない人々に幸せを届けていること、それはそれは美しい光景でした。鉄道高架は観光地を横断するにはあまりにも無骨で、その構造体はひび割れて満身創痍にも見えます。それでも社会に必要とされているこいつは、なんて幸せなんだろうか。つまらないことを考えていたからでしょうか、はたまた試験の後に観光すると落ちるというジンクス故でしょうか。繰り返しますが、この面接は落ちました。今だから笑える話です。

18歳にうろたえる日

2025-04-05 SAT.

最後の新歓。

 本日はわが大学の新歓サークル紹介でした。大学に存在するありとあらゆるサークルが一堂に会し、どうぞ、我がサークルに入ってください、あなたはわが部の宝です、と異口同音に叫び、いたいけな新入生を魔境へと誘う、そんなイベントです。右も左もわからない新入生が、何かを間違えて美術部の紹介ブースにまで来てしまった人が、今年もちらほらいらっしゃいました。ようこそ我が魔境へ。
 そこにあらわれる新入生というのが、大体18歳だったり19歳だったりするわけです。対する私はもうすでに23歳。大学院に片足をつっこみ、いざ社会への一歩を踏み出さんとする、そんな年齢です。院2年生というのは、小学校でいう6年生です。新入生は5つも下で、いうなれば全校遠足で手を繋いで昭和記念公園を歩いた、あの時と同じくらいの年齢差があるのです。なんだか気が遠くなってきました。

いまだ染まる余地を残しているあなたたちへ。

 話を建築学科の話にしましょう。だいたい建築学科に入ってくるような人というのは、建築家になりたいと志しているものです。そのきっかけがなんだったかは知りません。某有名リフォーム番組かもしれませんし、もっと身近な体験に立脚していることも多くあるでしょう。だが私は知っています。あなたたちの大部分は、そう遠くない将来そのあどけない夢を手放してしまうことを。私の師は、建築意匠の道へ進みゆく人を指して、「建築の神に生け贄を捧げたもの」と形容しました。そしてその生贄の、屍の山から、選ばれし者だけが旅立ってゆく、そんな世界なのだと。
 私にも、意匠へ憧れたときがありました。私は最初から意匠の道には進みませんでしたから、そもそも屍にすらならなかった…………つまり「建築の神に生け贄を捧げる」というスタートラインにすら立たなかった存在です。現実を見て、夢から背を向けて歩いてきた私にとっては、やはり無限の可能性を秘めている新入生は、光り輝いて見えるのです。それは何も建築学生に限った話ではなく、です。いまさらこのような話をするのも変ですが、やはり歳を重ねるということは、その先に広がっている可能性を、ひとつひとつ丹念に潰してゆく作業にほかならないのだということを実感します。

新歓総括。

 さて少々毛色の違う話にはなりますが、今回の新歓では「話しすぎない」「静かにする」を目標にしていました。総括として、これらは十分達成できたように思います。おじさんは、十分に部を運営してくれる優秀な後輩に恵まれたことをとても嬉しく思っています。別に私が手塩をかけて育てたわけでもないのですが、やはり自らが大学生活を捧げたコミュニティに、明るい未来の光が差し込んでいるということには、何にも変え難い思いを抱いてしまうのです。

春、別れと出会いの季節

2025-03-20 THU.

冬?合宿へ行きました。

 先日、3月上旬に部で合宿に行きました。一応スキー合宿という名目で、河口湖の周辺に宿を取り、有志部員で楽しんできました。美術部はペーパードライバーが多く、例によって私もその一人なのですが、5名の命を預かりいざ出発。事前に少し運転練習をした甲斐もあり、危なげなく行程をこなすことができました。まずは一安心です。
 スキーは二日目にやりました。最初で最後のスキー経験は中学一年生、スキー林間のときです。当時は3日間講習を受けて、一応ボーゲンで滑降できるくらいにはなった記憶があり、今回もあまり身構えずに臨みました。まあ、結果は散々でした。結構派手に転んだりしながら、なんとか感覚を取り戻そうと奮闘し、しばらく経った時、取り戻す感覚なんて元々なかったんだということに気づきました。それは半分冗談としても、やはり当時とは体格も違いますし、いろいろと厳しいのかもしれません。こんな私にも根気強く教えてくれる友人がいて本当に良かったです。
 結局満足に技術習得もできませんでしたが、なんとか滑り降りてくるくらいには良かったです。いやあ、死ぬかと思った。しばらくスキーはいいです。でも来年も冬合宿が催行されるとなったら喜んで参加しようと思います。だって最後だよ?

まずは、別れの季節。

 そうです。最後なんです。今が三月で、金曜日には卒業式です。私も来年には「そっち側」になるのだと思うと、やはり感慨深くなってしまいます。思えば長い5年間でした。
 大学生にもなると記憶がはっきりしてくるものですから、いまでも大学に入学した2020年のことは結構思い出せます。コロナ禍で大学に入り、リモート授業で退屈だったあの日も、初めての設計課題で右も左もわからずに徹夜したあの日も、鮮明に覚えています。でも、もうあの日から5年も経ってしまいました。小学校が6年だと思うと、体感時間が加速度的であることを強く感じます。よく、人生の体感上の半分の地点は20歳である、などと言います。私はどうしてもそれが嫌で、死ぬまでの40年だか60年だかを、成人する前の20年より絶対長いと思えるようにしてやると意気込んでいました。だからやりたいことは全部やってやろうと思いましたし、実際多忙な大学生活を送ってきたと思います。でも気づいたら、忙しくすればするほど、時間はさらに加速して過ぎ去っていったように思います。
 春は出会いと別れの季節。まずは別れの季節が初めにやってきます。ついこの間、我が美術部の追い出し会を行いました。修士課程に残る私を前にして、大学生活を共に過ごした仲間が次々と社会に出ていくのは、正直応えるものがあります。来年からの私はどうやって生きてゆけばいい?まあ気にせず楽しく過ごしていくことはわかってはいるのですが、やはり別れというのは何回経験しても慣れません。
 そして私は来年、こんどは送られる側になるわけです。ずっと他人事だと思って直視してこなかった現実に、やっと向き合う時がくるのだと思います。大丈夫、まだ一年ある。何が役に立ち、何が役に立たないかを考える気はありません。そんなものは一年後になってようやくわかるものですから。だからこそ、向こう一年も変わらずに思うがままにやりたいことをやろうと思います。

そして、出会いの季節。

 4月になれば、また一年生がやってきます。5年前、私が大学生活に胸を膨らませながらやってきたあのときの気持ちをまだ持っている、そんな一年生がやってきます。5つも下の大学生がやってくることに、今年で24になる私はもう耐えられないかもしれません。それでも、私が入学した時も、同じ思いをもった先輩がいて、そのときと同じことが起きるだけです。私にとって最後の新歓になりますが、その眩しさに耐えられなかったとしても、できる限り仲良くしていきたい、そう思って4月を迎えようと思います。

長石こたです

2025-03-05 WED.

KotaNagatraから、改めまして。

 早速ですが、ペンネームを改めました。長石こた、ながいしこたと申します(選挙カー風に)。とりあえず読める名前を手に入れられてよかったです。KotaNagatraというペンネームは、高2くらいから使っていますので、かれこれ7年程度使い続けていたことになります。人間で7歳といったら結構自我が芽生えてくる頃ですから、まあ長いこと名乗り続けていたわけです。一応どうでもいいのですが、このペンネームの由来を書き記しておこうと思います。
 私の苗字は永田です。これまで別に隠してはいなかったのですが。そして、ジャカルタの旧称をジャガタラといい、アルファベットで綴ると"Jacatra"となります。これら二つを繋ぎ合わせて、Nagatraです。中学生の頃、授業でジャカルタの旧称が出てきたときが発祥です。
 突然ですが、ジャカルタの鉄道ターミナル駅の主要なものに、「ジャカルタ・コタ(Stasiun Jakarta Kota)」という駅があります。ここの「ジャカルタ」の部分を先述の"Nagatra"と置き換えたものが、これまで使っていたペンネームであるところのKotaNagatraであったわけです。そのため、KotaNagatraの正しい読み方は「コタ・ナガタラ」です。ジャガタラに合わせているからですね。ただし、初見だと基本的に「ナガトラ」と呼ばれがちであり、いつかどうにかしないとなと思っていたところでした。

名前は徐々に定着する。

 そんな状態で何年間もKotaNagatraを名乗り続けていたのですが、昨年の8月にコミティアに出てから、これから継続的に活動を続けてゆこうと決意を新たにしました。それから三冊の同人誌を出したのですが、継続的に出し続けているとだんだんKotaNagatraのペンネームが定着してゆきます。次回COMITIA152に出ると4回連続参加となり、まるまる一年KotaNagatraとしてアクティブな状態をつづけている状態となります。となると、変えるならここだなって思っていました。

一生名乗れるようにしたい。

 新しいペンネームはそれなりに悩みました。長石のほうは基本的には本名のもじりです(でもここから推測するのは無理だと思います)。下の名前は、「渉」にするか「こた」にするかで結構悩みました。前者は本名のもじりで、後者はKotaNagatraの要素を引き継いできたものです。最終的に「こた」の方を採用したのですが、それは条件にサークル名「こた工房」を維持するという前提があったからというのも大きいです。だって、長石渉のサークルがこた工房だったらそれなりに意味不明じゃないですか。あとは実際に名刺を作ってみて、文字のおさまりを確認したりしていました。やっぱり文字で書くと印象が結構変わってくるもので悩みましたが、文字で書いたことが「こた」の方を採用した決定的な要素だった気がします。なんかかわいかったので。
 そんなこんなで私はこれから長石こたです。しばらくは併記しますが、まもなく長石こたに一本化していこうと思います。よろしくお願いします。なので、古参ぶりたい人だけは、KotaNagatraをわすれないであげてくださいね。

ついでに、レーザープリンタを買いました。

 明らかにここに追記する重さの話ではないのですが、キヤノンのレーザープリンタ「LBP-8720」を導入しました。10年前の機種で、すでにサポートも切られているのですが、稼働品を1万円以下で入手しました。そんな値段で手に入れたものに純正の3万円だか4万円だかするトナーを入れ替えて使うのもバカみたいなので、5000円くらいのリサイクルトナーを入れて使い倒してゆこうと思います。壊れたらリプレイスすれば良いやの精神でいきます。
 アホみたいに重いプリンタを頑張って持ち上げて設置しました。いざ印刷!ということで昔の原稿を印刷してみたのですが、どうにも印刷が粗く、ブラックのベタが薄いのです。また安物買いの銭失いをやってしまったか、、、と結構色々な設定を弄りましたが、印刷解像度を1200dpiにして、トナーの濃さを数段階上げてやると、十分に実用に耐える印刷品質を得ることができました。これで、今後のこた通信は内製できそうです。あと名刺も刷ろう。もらった時に返せるように。
 でも、主目的は原稿作成です。デジタルとアナログを併用した原稿を作りたいという願望があり、そのためにはA3が刷れるプリンタが必要不可欠でした。つまり、PC上でコマ割りとキャラクターまでを作成して、印刷して背景を描き込んでまたスキャンするということがしたかったのです。ですので、次回のコミティアで出る新刊はそのように作ったものが出ると思います。うまくいかなかったら従来のやり方に戻しますが……物は試し、一万円で試せることはやってみるに限りますね。

大DIY大会@アパート

2025-02-26 WED.

巨大机と共に歩んだ4年間。

 私の住むアパートにはとても大きい机があります。私がまだ実家にいた頃、DIYで拵えたやつです。天板はラジアータパインの集成材(t=24)、3×6板を奥行きだけちょっとカットしてそのまま塗装して使っていたので、幅1820mm×奥行き800mmという、なかなかに暴力的なサイズの机でした。
 この机を作成する前までは、小学生のころに買ってもらった学習机を使っていました。むかしから工作ばかりをして大人になってきた私ですから、学習机にお馴染みのポケモン図鑑はズタズタに切り裂かれ、木の天板が露出した状態でずっと使い続けてきたボロボロの学習机でした。とはいえ、元のモノが良いものですから、がっしりとしていてまだまだ使える状態でした。しかし、製図用には奥行きが足りず、泣く泣く手放すことにしたのです。
 当時、世は大コロナ・パンデミック時代の幕開け。大学2回生になった私ですが、本来大学で行う製図の授業が縮小され、A2の並行定規(製図のための台みたいなものです)を借りて家で製図をする機会が多くありました。奥行きがない机だと、これが手前に落ちてくるんです。3回くらい落とした時には、もうホームセンターにいました。友人に運ぶのを手伝ってもらい、家まで運んだのを覚えています。なぜか当時話した内容まで覚えています。不思議だね。
 それからまもなく、授業は大学内で開講されるようになり、せっかく用意した巨大机は本来の役目を降りることになりました。しかしこの巨大な机、これはこれは使い勝手が良くてそのまま使い続け、大学3年に上がり一人暮らしを始めた時にもしっかりとアパートに運び込んだのでした。それがもう3年前の話です。

揺れる机、不釣り合いな大きさ。

 かくして私の生活空間たる6畳間に巨大な机は運び込まれました。面積にしておおよそ1畳、つまり部屋面積のうち1/6は机に占められているというわけです。入居したときこそ、本棚がなかったので冷蔵庫の横に壁付けする形で机を置いていました。本棚を購入したとき、冷蔵庫を部屋に置いている関係上、机を置こうとすると必然的に窓の前に机を置くことになってしまいました。(図1)
 健康な生活は太陽と共にあるということを、引っ越してからよく思い知りました。実家の私の部屋は狂ったように窓があった(なんと三面開口でした)ので、いやでも太陽と共に生活することができていたのですが、アパートの部屋は当たり前ですが1面開口。遮熱のために遮光のカーテンをつけたら、日中でも結構部屋を暗くできます。そんな環境でまともなリズムで生活できるはずもなく、私の生活は徐々に崩れてゆきました。まあ、それだけが原因でないのはわかっていますが。
 また、机の構造にも少々問題がありました。脚は安さを優先して、IKEAで買える独立スチール脚「ADILS(オディリス)」を採用していました。こいつ、べらぼうに安く、今でも一本当たり500円で買えます。昔はもっと安かったような気がします。揺れるという口コミはあったものの、これまたIKEAのキャビネット「ALEX」を使うことで揺れも抑え(なんとこいつ、30kgほどある)、パソコン作業くらいでは気にならずに使える性能を確保していました。
 しかし、最近原稿などを家で描くようになると、どうもちょっとした揺れが気になってしょうがない。原因はこの独立脚でしょう。机の脚は結構頑丈に作らないと揺れやすく、結局最強なのは板であるということは、いろいろな場所でDIYをしてきた経験上わかっていたことではありました。

改善しよう。大仕事になるぞ。

 解決策としては、
①机の端を1200mmに切り詰め、本棚と窓側の壁面の間に机を設置できるようにする ②スキャナを設置する場所を確保するため、机の上に一段の棚を設置する。耐荷重には十分気をつける ③机の脚はADILSをやめ、板材を用いて製作した脚をビス留めして安定性を確保する
 の3点を行いました。 私はいつでもお金がないので、これらをできるだけ安く実現するにはやはりDIYしか選択肢はありませんでした。買わなければならない材料はつぎの通りでした。
①机脚およびスキャナ台の天板になる板材(OSBを採用)、 ②スキャナ台の脚になる角材 ③スキャナ台の脚に付ける補強ブレースに使うターンバックル、ヒートン、ワイヤ ④塗料
 なんやかんや材料費は6000円くらいかかった気がします。まあ安くできたんじゃないですか?わかりません。考えないことにします。だからお金がないんですよ。

小改造!茶番的ビフォー・アフター。

 かくして机は幅1200mmに切り詰められ、部屋の模様替えが行われました。(図2)窓にいつでもアクセス可能になり、これからは日光とともに生きてゆけそうです。スキャナ台も結構綺麗にできました。なんだか昔憧れていたロフトベッドみたいな雰囲気があり、結構テンションが上がります。そしてびっくりするほどうまく行ったのが机脚の方。いま新しくなった机でタイピングをしているのですが、パソコン作業くらいなら快適にできると思い込んでいた前の机がバカみたいに快適です。揺れない机ってこんなに素晴らしいんですね。でもよく考えたら机は揺れなくて当たり前でした。変な環境に慣らされたものの末路でした。
 スキャナ台は結構高く、床面から1400mmもあります。私の身長ならギリギリ使用可能です。見た目は結構小学生用の学習机といった風情なのですが、こういった寸法感は完全に大人用で作られているので、嘘の小学生机みたいな趣があります。これはこれで良いものですね。あと、スキャナ脚に採用したワイヤーの補強ブレースが予想以上に格好良くできてにんまりしています。引っ張り材ってやっぱり美しいです。ああ、わたしはこの机を建築したんだな、なんて気持ちになったりもします。こういうことをしていると、昨今の建築業界にままみられるDIY志向も少しは理解できるような気がします。

さようなら三菱・こんにちは三菱

2025-02-22 SAT.

今日までが長かった。

 2024年の年末、エアコンが壊れました。私の住むワンルームのアパートには、1996年製のエアコンが付いていました。型番をSRK228R、三菱ビーバーエアコンです。三菱は三菱でも、三菱電機の方ではありません。三菱重工です。あの頃の家電は頑丈で、スイッチを入れればすぐに部屋を温めてくれました。非インバータエアコンゆえの電気代の高さに目を瞑るならば、頼りになるえらいやつでしたが、さすがにそろそろ30年選手、寄る年波には勝てず、壊れてしまったのでした。
 故障内容は、稼働中に突然電源が落ちるというもの。最初は低頻度で、エアコンが除霜運転に入るときに失敗するように落ちるというものでした。時は大寒波時代、何度も押し寄せる今年最強の寒波に、わたしはだましだましエアコンを稼働させるほかありませんでした。徐々に弱ってゆくエアコン、日に日に稼働可能な時間は短くなってゆき、ついにはリモコンの信号に応答することすらなくなってしまいました。最後までドラマチックなやつでした。俺は愛しているぞ、ビーバーエアコンよ。

管理会社に無視されつづけて。

 初めに断っておきますが、ほとんどクレーム報告になってしまうので、会社を特定するような書き方はしません。さすがに私も部屋で凍えていただけではなく、1月3日には24時間問い合わせサービスを通して連絡を入れました。しかし、はじめに返ってきた自動返信をさいごに、コールセンターからは何にも返ってきません。工事が立て込んでいて遅くなるとか、そういった話が入ってくるなら納得もできたのですが、完全に音信不通です。流石におかしいと思った1月27日、再度同じサービスを経由して連絡を入れました。ところがまた無視・無視・無視……!!!今思えば結構怒っていたと思いますが、その気持ちを抑えながら、今度は問い合わせサービスではなく不動産店舗に直接連絡を入れました。(なぜなら店舗の人は何も悪くないので)
 私もびっくりしたのですが、そしたらあっという間に話が動き出し、エアコン業者に連絡を入れた、しばらく待って欲しい、エアコン業者が日付け候補を送ってきた、、、と、とんとん拍子でした。なんだかバカらしくなってきました。そして「あ、これコールセンターの問い合わせが現場に回ってないな」と薄々勘づいたりしていました。実際どうなのかはわからないのですが。
 正直ちょっと納得していないので、家賃減額を交渉したりしています。でも強気に出過ぎても住みにくくなるだけなので、適度にやります。平和が一番です。

こんにちは三菱。

 そんなわけで新しいエアコンがついたわけです。新しいエアコンはMSZ-GV2224-Wというモデルです。三菱電機製、あの有名な「霧ヶ峰」です。多分本物の霧ヶ峰よりエアコンの霧ヶ峰の方が有名だと思います。調べると霧ヶ峰の最廉価グレードのようですが、冷暖房・除湿・送風のみのシンプルな機能モデルで、とっても好感が持てます。評判もいいモデルだし、なによりインバータエアコンである、この一点だけで私にとってはデカすぎるアドバンテージです。そして運転音が静か。これまでのは一体なんだったんだってくらい。次に引っ越すときにはエアコンの新しさもちゃんと見ておこうと思います。でも1996年製のエアコンに当たる方が難しい気もしますが……。
 というわけで霧ヶ峰、お手並み拝見といきましょうか。一緒に快適に過ごしていきましょう。

コミティア151・個人的アフターレポート

2025-02-19 WED.

コミティア151に参加してきました。

 去る2月16日、東京ビッグサイトで開催されたコミティア151にサークル参加してきました。今回は前回の記念回とうってかわって通常回、もっと小さい開催になるのかと思っていましたが4000サークルを超えるサークル参加があり、一般参加者もたくさんいて大賑わいでした。杞憂杞憂。
 前回も書いた通り、今回はいろいろな出会いがありました。昔の知り合いとの話も弾み、とても楽しい時間を過ごせたと思っています。また、三回連続参加となると、毎回手に取っていただいている方もいて、それはそれはとても嬉しいものです。今回は前日の思いつきで色紙を用意したのですが、色紙を買ってくれた方の中には本当に毎回ちゃんと読んでいただいている方もいるようで、やはり感無量です。

一般参加もしたくなる。

 見出しにはこのように書いたものの、やはりサークル参加しかしないだろうし、サークル参加するとスペースを巡回する機会はどうしても失われてしまいます。でも、今回もとっても良い同人誌との出会いがありました。感想はTwitterの方にも書いておきましたが、ここにも書き記しておきます。
いつまでも少女でコスメ口コミで助け合う私達(ぽぽこ/さらば)
前回のコミティアで知った作家様で、今回も購入。平坦な会話が心地よいテンポを生んでいる独特な作風と、背景へのこだわりを感じる。日常を映像的に見ているように思えるのだが、どうなのだろうか。
創作SF合同誌(不可思議蟹猫侵略者)
不可思議蟹猫侵略者ってなんなんだ(蟹と猫と侵略者が描いてるらしい)。合同誌とのことで、私はこのなかの"猫”しか存じ上げなかったわけだが、創作を絡ませる本のシステムが楽しかった。キャラクター紹介ページが用意されているのが初心者に良い。Relationship Chartがあるのはもっと良い。
バス停の墓場/ありがちなバス停名って何?(しーさいど/アンバリヅカ)
以前から作家様は知ってはいたが初購入。アンサーとしてバス停が出てくる漫画でもいつか作ろうかしら。「ありがちな〜」ではバス停名をジャンルごとに分類していたけど、ちゃんと我が地元の名物バス停名「別れ道」も抑えられていたのが良かった。笑
放浪のナイフ(埜塚蒔奈)
300円で頒布されているの、安すぎて心配になる。寓話的な世界ともの悲しげなナイフが印象的な一冊。こころがあたたまるお話でした。
兎の肝(ぶろ-に120)
私のスペースに買いに来ていただいたときに、首から下げていた名札がとても良かったので、その場で新刊交換をしました。情報量の少ない画風とすらっとしたキャラクタが見ていてとっても幸せでした なにこれ もっとみたいかもしれない。

頒布報告。

 私の新刊ですが、生々しすぎるので頒布数を具体的に書くのはやめておきます。しかし、前回と比較してほぼ横ばいだったのは良かったと思います。なぜなら前回より参加者は確実に減っていると思うので。。。とりあえずこれくらいの頒布量があれば、今後も持続可能な同人活動ができそうです。
 さて次回コミティア152ですが、ほとんど申し込む前提で考えを進めています。さて、できるかな??就活と創作の両輪でぐるんぐるんと走ってゆきたい。

原稿執筆速度について

2025-01-25 SAT.

COMITIA151に向けた原稿を執筆しています。

 Twitterのほうでは、進行中の原稿を簡単に写真に写してアップロードしているのでなんとなくわかるようにはしていますが、来るべきCOMITIA151に向けて原稿を進めています。前回の反省を生かしてちゃんとネームを切り(前回は時短のため、なんとなくプロットとページ割をしたら、そのままネームを起こさないで書き始めたんです、そしたらものすごく苦労しました)、順調に進めていますが、やっぱり凝り性なもので、なかなか進みません。書き込めば書き込むほど楽しくなってきてしまうのです。今回から、ベタ塗りはデジタル処理にして楽しようかなという計画だったのですが、いざやってみると自分の目の前で原稿が完成しないもどかしさが勝ってしまい、結局塗りつぶす羽目になっています。なんだかなぁ。

ペン画における「線」と「陰影」。

 描き込みは楽しいのですが、最近自分の描線にどうも納得がいかなくなりつつあります。最近はインターネットで上手い人の絵がたくさん見えますし、それと比較してしまうのはもったいなく無意味なことだという自覚はあるのですが、自分の線はどうも線自体の魅力には欠ける気がします。うまく言い表せないのですが。
 あとは陰影。自分がこれまでの人生でデッサンをサボり続けてきたツケが回ってきているような気がします。ものをどうしてもアウトラインで捉えてしまう。図面書きならそれでいいのかもしれませんが、絵描きとしては結構致命的かもしれません。特に自分の作風的に、これはどうにか改善したい。時間を見つけて、デッサンの練習をしてみようと思います。絵全体の構成ものっぺりとしがち。描きこむところ、少し手を抜くところを意識しながら、残りの原稿を進めてゆく所存です。

頑張ります。

 のこり30ページほどあるので、ちゃんと書き上げよう。泣。

コミティアがつなぐ縁

2025-02-12 WED.

まもなく2/16、コミティア151です。

 いよいよ今週末に迫ってまいりましたコミティア151、今回もそれなりの苦労はしつつ、なんとか入稿も無事に済ませ、あとは当日を待つだけという状況になりました。頑張ってよかったです。今回出す新刊は36ページ、これまでのなんちゃって読切ではなく、本格的なページ数を用意したつもりです。内容が面白いかは置いておいて、印刷をお願いしているサングループ様の背幅計算ツールで背幅が3.4㍉と出た時の「もう薄い本じゃないじゃん」感は感慨深かったです。

コミティアと出会い、再会など。

 まさか自分が3連続で新刊をひっさげてコミティアに出るとは思ってもみなかったわけですが、ある程度出ているとだんだんコミティアで私のことを知ってくださった方というのもあらわれるようになるものです。会場で頒布している時に、前回の感想とかいただけるともうとっても嬉しいです。
 さらに今回は昔の知り合いがぼちぼち来ていただけるようで、今の時点でなんだかすこしドキドキします。自分がコミティアの主催者ではないにも関わらず、楽しんでもらえるかなとか考えちゃうのは仕方ないことなのでしょうか。願わくば私も彼ら彼女らと色々な島を巡ってあれが欲しいこれがかわいいおもしろいなどと云いながら即売会を楽しみたいところなのですが、あいにくサークル参加者はそう言ってはいられません。でも今回も無理言って部の後輩にサークルチケットで来てもらっているので、ちょっとくらいは離れられるかも。タイミングとバランスが大事です。難しいですね。

それでは会場で。

 というわけで、コミティア当日は東2ホール【こ23a】にて、サークル「こた工房」として参加しています。スペースでKotaNagatraと握手!!(任意です)

卒業設計から一年

2025-02-02 SUN.

あれから1年が経ちました。

 大学の製図室で、後輩が必死で卒業設計に取り組んでいます。私は嫌な性格なので、後輩の模型制作を手伝ったりしています。誰かに必要とされたいので。そして4年生が卒計をやっているということは、私の地獄のような卒業設計から1年が経ったということになります。

卒業設計とその後の創作活動について。

 卒業設計はとても辛い思い出です。何しろ私は時間内に提出できませんでしたし、設計物も理想的なものとは程遠いものでした。人間の脳というものは非常に不思議なもので、締め切り後にいいアイデアがたくさん出てきたものです。できることならもう一度やり直したい、去年は本当に悔しい思いをしました。もう一度やり直せるなら、、、、まず駅はやらず、東上線川越工場跡地を敷地に定め、、、、、そして車両は可動状態で利用し、、、、、、みたいなことを何度か考えたものです。
 しかし一方で、あのような大規模で空想的な設計ができたことに対する達成感もあります。そしてそのような設計をやったからこそ、昨年夏の漫画「ザ・ネクスト・ステーション・イズ」を制作することにつながりました。卒業設計が終わったとき、あまり深く考えることなく「卒業設計を漫画にしてみたい」と周りに言いました。だいたい言ったことは後に退けなくなりますから(というかそれを見越してこのような発言をしたのだと思います)、結構命を削ってあの作品を作ることになりました。おかげで漫画をつくる楽しさに気づくこともできましたし、その感覚は今の創作活動にも直接つながっています。
 全てのものに意味がある、という考えは好みません。意味のないこともあるでしょうが、やはり運命的なものを感じずにはいられないのです。

原稿進捗。

 22ページまで作成できました。ページ数が多いので、今回はオフセット印刷は厳しそうです。さすがに2/6に間に合わせることはできません。のこり14ページ、気張ってまいりましょう。

キャッシュカードを再発行する

2025-01-16 THU.

新年明けましておめでとうございます。

 新年最初のエントリが結構遅くなってしまいましたが、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。新年早々いろいろやることが山積していて結構なハードモードなのですが、なんとか健康的に生きています。今年の目標はいっぱい寝ること。修論も進めないといけないし、就職活動にも蹴りをつけないといけないし、それと並行して漫画も描きたいとか欲張りなこと言ってます。できるかな?

新年早々、お金が下ろせなくなる。

 キャッシュカードが使えなくなりました。ATMに入れたら、なんかごにょごにょ動作した上で突き返されてしまいました。これは大問題。キャッシュが手に入らないからね。ゆうちょ銀行の場合、通帳でも下ろすことができるのですが、わたしはあいにくの通帳レス口座。八方塞がりかと思いきや、ATMの画面に燦然と輝く「スマートフォンでのお取引」の文字。ゆうちょ通帳アプリを使っていたことでことなきを得ました。いやあ、あぶなかったね。
 それはそうとして、カードが使えないのは大問題です。たとえば他行のATMを使う場合。できれば手数料の関係で使いたくはない手段ではありますが、緊急ということもあります。ATMには磁気再生機能がある!!と思って使おうとしたら、ICキャッシュカード専用でした。ここで衝撃の事実!わたしのキャッシュカードはICキャッシュカードではありません。

さらば、郵政民営化の生き証人。

 実は私が使ってたキャッシュカードは総務省発行の「郵便貯金キャッシュカード」。今は亡き「郵便貯金」です。まずは令和7年の今になっても互換性を維持し続けてくれているゆうちょ銀行に敬意を表しつつ、総務省発行ってどういうことだ?と思い少し調べてみました。
 ネットで郵便貯金キャッシュカードの画像を調べてみると、見慣れたデザインでも郵政省と書かれたものがたくさんヒットします。どうやら、日本郵便が発足する前に、郵政省→郵政事業庁(2001-2003)→日本郵政公社(2003-2007)と数プロセス踏んでいたのだとか。この中の郵政事業庁は総務省の外局で、おそらくこの時期に発行されたキャッシュカードのみに「総務省」と印字されているみたいです。2年間か、そう思うとだんだんレアものに見えてきたぞ??とはいえ発行枚数は大量にあるでしょうから別に価値はないでしょう(というか個人情報もあるし、価値が出ても困るが。)。とはいえ、私の記憶にすらない郵政省なるものの残滓を、いまこうして見ることができることには、なんだか深い感慨を覚えるものです。

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